Ein psychologe erlebt das konzentrationslager

in ... trotzdem Ja zum Leben

by

Viktor E. Frankl

みすず書房「夜と霧」新版、池田香代子訳、2002年


(February 8th, 2004)


 邦題「夜と霧」と訳されたこの本は、ナチスによるユダヤ人虐殺収容所の実態を描いたものとして、若い頃の私には甚だ興味深いものであったが、何故か手に取ることも購入して読むこともなかった書である。しかし、最近、ある機会に眼にすることになり、購入することになった。(多分、これ以前に、養老孟司氏の著書「まともな人」(中公新書)に「アウシュビッツの生き残りだった精神科医ウィクトール・フランクルは、出合ったことはないが、私がもっとも尊敬する人物の一人である。」とか、「ナチス・ドイツについて、ウィクトール・フランクルはいう。共同責任などというものはない。」「人間に中に誠実な人と、不誠実な人があるだけである。」「フランクルはいう。私の知っていた最後の収容所長は、自分の小遣いから囚人用の薬品を買っていた。」などの記述があり、強い印象を持ったからであろう。)

 実際のところ、「夜と霧」は、フランクル自身が冒頭で述べるように、「これは事実の報告ではない。体験記だ。ここに語られるのは、何百万人が何百万通りに味わった経験、生身の体験者の立場にたって「内側から見た」強制収容所である。だから、壮大な地獄絵図は描かれない。」、すなわち、ナチスを告発する書ではない。(若い頃の私は誤解していたのかもしれないし、その若さゆえにフランクルの云わんとしたことも理解できなかったかもしれない。)

 同じ冒頭で、フランクルは次のように述べている:

「ここでは、偉大な英雄や殉教者の苦悩や死は語られない。語られるのは、おびただしい大衆の「小さな」犠牲や「小さな」死だ。」

「ここで語られるのは、「知られざる」収容者の受難だ。特権を示す腕章をつけず、カポーたちから見下されていたごくふつうの被収容者が空腹にさいなまれていたあいだ、そして餓死したときも、カポーたちはすくなくとも栄養状態は悪くなかったどころか、なかにはそれまでの人生でいちばんいい目を見ていた者たちもいた。この人びとは、その心理も人格も、ナチス親衛隊員や収容所監視兵の同類と見なされる。彼らは、今、罪を問われているこれらの人びとと心理的にも社会的にも同化し、彼らに加担した。」

「カポーはよく殴った。親衛隊員でもあれほど殴りはしなかった。」


「フランクルが生きる意味や人の尊厳を最優先した心強い著作や講演活動を行ったのは、収容所と同じ構造をあちこちで感じ続けたからなのだろうか。」

 上は、www.amazon.co.jpで見つけたある方の書評の一部であるが、同感である。


 このような世界の構造の中で、私は如何に生きるべきか? その参考として、以下のフランクルの言葉を噛みしめたい:


 親衛隊員にあてはまるような、ある種の優秀者を上から選ぶ選抜とならんで、劣悪者を下から選ぶ選抜というものもあったのだ。(中略)わたしたちはためらわずに言うことができる。いい人は帰ってこなかった、と。


 「まっただなか」にいた者は、完全に客観的な判断をくだすには、たぶん距離がなさすぎるだろう。しかしそうだとしても、この経験を身をもって知っているのは彼だけなのだ。もちろん、みずから経験した者の物差しはゆがんでいるかもしれない。いや、まさにゆがんでいるだろう。(中略)ここにわたしが差し出す経験の主観的な抄録を客観的な理論へと結晶させることは、安んじてほかの人びとの手にゆだねようと思う。(中略)ここでわたしは、はじめこの本を実名ではなく、被収容者番号で公表するつもりだったことに留意をうながしておきたい。経験者たちの露出趣味に抵抗感を覚えたからだ。しかし、匿名で公表されたものは価値が劣る、名乗る勇気は認識の価値を高める、と自分に言い聞かせ、名前を出すことにした。わたしは事実のために、名前を消すことを断念した。そして自分を晒け出す恥をのりこえ、勇気をふるって告白した。いわばわたし自身を売り渡したのだ。


 そのとき、貨車の扉が引き開けられ、よくある縞模様の服を着た被収容者がどやどやと乗りこんできた。丸坊主にはされてはいるが、栄養状態はきわめて良好なようだ。(中略)精神医学では、いわゆる恩赦願望という病像が知られている。死刑を宣告された者が処刑の直前に、土壇場で自分は恩赦されるのだ、と空想しはじめるのだ。それと同じで、わたしたちも希望にしがみつき、最後の瞬間まで、事態はそんなに悪くはないだろうと信じた。(中略)わたしたちはまだなにも知らなかったのだ。彼らは「エリート」だった。


 ガス室や焼却炉で働かされていた例の被収容者グループでは、事情は違っていた。彼らは、いつかある日ほかの被収容者グループと交代させられて、こんどは自分たちが犠牲者の道をたどるということを、紛れもない事実として知っていた。彼らは、犠牲者とは異なり、処刑する側の手下になることを強いられていたのだ。このグループには、親衛隊からアルコールが好きなだけ与えられていた。


 こんなふうに、わたしたちがまだもっていた幻想は、ひとつまたひとつと潰えていった。そうなると、思いもよらない感情がこみあげた。やけくそのユーモアだ!(中略)もうひとつ、わたしたちの心を占めた感情があった。好奇心だ。(中略)アウシュビッツでもこれと同じような、世界をしらっと外からながめ、人びとから距離をおく、冷淡と言ってもいい好奇心が支配的だった。さまざまな場面で、魂をひっこめ、なんとか無事やりすごそうとする傍観と受身の気分が支配していたのだ。(中略)人間にはなんでも可能だというこの驚きを、あといくつかだけ挙げておこう。(中略)人間はなにごとにも慣れる存在だ、と定義したドストエフスキーがいかに正しかったかを思わずにいられない。(中略)それはどこまで可能か、と訊かれたら、わたしは、ほんとうだ、どこまでも可能だ。と答えるだろう。だが、どのように、とは問わないでほしい......。


 ゴットホルト・エフライム・レッシングは、かつてこう言った。「特定のことに直面しても分別を失わない者は、そもそも失うべき分別をもっていないのだ。」異常な状況では異常な反応を示すのが正常なのだ。


 がつがつと飲みながら、ふと窓の外に目をやった。そこではたった今引きずり出された死体が、据わった目で窓の中をじいっとのぞいていた。二時間前には、まだこの仲間と話しをしていた。わたしはスープを飲みつづけた。もしも職業的な関心から自分自身の非情さに愕然としなかったとしたら、このできごとはそもそも記憶にとどまりもしなかったと思う。感情喪失はそれほど徹底していた。


 とっくに感情が消滅していたはずのわたしが、それでもなお苦痛だったのは、なんらかの叱責や、覚悟していた棍棒ではなかった。(中略)わたしは感じずにはいられなかった。こうやって動物の気をひくことがあるな、と。


 殴られることのなにが苦痛だと言って、殴られながら嘲られることだった。


 感情の消滅は、精神にとって必要不可欠な自己保存メカニズムだった。現実はすっかり遮断された。すべての努力、そしてそれにともなうすべての感情生活は、たったひとつの課題に集中した。つまり、ただひたすら生命を、自分の生命を、そして仲間の生命を維持することに。


 被収容者はほとんどまったくと言っていいほど、性的な夢をみなかった。他方、精神分析で言う「手の届かないものへのあがき」、つまり全身全霊をこめた愛への憧れその他の情動は、いやというほど夢に出てきた。


 ほとんどの被収容者は、風前の灯火のような命を長らえさせるという一点に神経を集中せざるをえなかった。原始的な本能は、この至上の関心事に役立たないすべてのことをどうでもよくしてしまった。被収容者がものごとを判断するときにあたりまえのように見せる徹底した非情さも、そこから説明がつく。


 あらゆる精神的な問題は影をひそめ、あらゆる高次の関心は引っこんだ。文化の冬眠が収容所を支配した。さもありなんというこうした現象にも、ふたつだけ例外があった。ひとつは政治への関心。これは理解できる。もうひとつは、意外なことに、宗教への関心だ。


 強制収容所に入れられた人間は、その外見だけでなく、内面生活も未熟な段階にひきずり下ろされたが、ほんのひとにぎりではあるにせよ、内面的に深まる人びともいた。(中略)繊細な被収容者のほうが、粗野な人びとよりも収容所生活によく耐えたという逆説は、ここからしか説明できない。


 愛は生身の人間の存在とはほとんど関係なく、愛する妻の精神的な存在、つまり(哲学者のいう)「本質」に深くかかわっている、ということを。(中略)愛する妻が生きているのか死んでいるのかは、わからなくてもまったくどうでもいい。(中略)心のなかで会話することに、同じように熱心だったろうし、それにより同じように満たされたことだろう。あの瞬間、わたしは真実を知ったのだ。「われを汝の心におきて印のごとくせよ......其は愛は強くして死のごとくなればなり」(「雅歌」第八章第六節)


 被収容者の内面が深まると、たまに芸術や自然に接することが強烈な経験となった。この経験は、世界やしんそこ恐怖すべき状況を忘れさせてあまりあるほど圧倒的だった。(中略)護送車の鉄格子の隙間から、頂が今まさに夕焼けの茜色に照り映えているザルツブルクの山並みを味を見上げて、顔を輝かせ、うっとりとしていた。


 ユーモアも自分を見失わないための魂の武器だ。(中略)ほんの数秒間でも、周囲から距離をとり、状況に打ひしがれないために、人間にそなわっているなにかなのだ。(中略)たとえば、こうも言えるだろう。人間の苦悩は気体の塊のようなもの、ある空間に注入された気体のようなものだ。空間の大きさにかかわらず、気体は均一にいきわたる。(中略)苦悩の「大きさ」はとことんどうでもよく、だから逆に、ほんの小さなことも大きな喜びとなりうるのだ。


 人間の命や人格の尊厳などどこ吹く風という周囲の雰囲気、人間を意志などもたない、絶滅政策のたんなる対象と見なし、この最終目的に先立って肉体的労働力をとことん利用しつくす搾取政策を適用してくる周囲の雰囲気、こうした雰囲気のなかでは、ついにはみずからの自我までが無価値なものに思えてくるのだ。


 「群衆の中に」まぎれこむ、つまり、けっして目立たない、どんなささいなことでも親衛隊員の注意をひかないことは、必死の思いでなされることであって、これこそは収容所で身を守るための要諦だった。


 ここでだれしも、テヘランの死神という昔話を思い出すのではないだろうか。


 自分はただ運命に弄ばれる存在であり、みずから運命の主役を演じるのではなく、運命のなすがままになっているという圧倒的な感情、加えて収容所の人間を支配する深刻な感情消滅。(中略)わたしたち、この収容所に最後まで残ったほんのひと握りの者たちが、あの最後の数時間、「運命」がまたしてもわたしたちを弄んだことを知ったのは、人間が下す決定など、とりわけ生死にかかわる決定など、どんなに信頼のおけないものかを知ったのは、それから数週間もたってからだった。


つづく